隣人を大切に

昨今のAI革命はもう止まらないと思います。蓋は開いてしまった。
今それなりに推敲しているこの文章も「僕らしく、かつ読みやすさ3割増し」で書いてくれるサービスくらいならもう存在しそうだし、人々は「人間関係」ではなく「AI関係」に囲まれて暮らすようになり、対人間のコミュニケーションは相対的に高コストな贅沢品になる流れです。

では「対人間」を求めるのはどこまでかなとなると「身内+たまたまそばにいる困っている人」というニュアンスの「隣人」がしっくりくるなぁと、気に入って使っています。

「来るべきAI社会でもあなたにとっての良き隣人でありたい」

お互いにそう言える人とは人間関係を、それ以外はAI関係でとなったときに、どうやって隣人候補を見つけるのかという問題がありますが、その答えは全然浮かびません。
好きになった相手がAIだったらどうすればよいか。人格コピーのアバターに恋をしたとして、オリジナルが自分を気に入ってくれるかどうかはわからないし、そのアバターとそのままコミュニケーションを取る方が楽ですよね。

そんなのを通り越して、アバター同士でマッチングして「あなたとあなた、相性がいいのは保証するからオリジナル同士で暮らしてみなさいよ(50年先まで何パターンもシミュレーション済み)」と言われる世界になるのかも。

マルチバースのあっち側で自分のコピーが幸せそうにしていて「こっちバース」の自分はしょんぼりしている、みたいなことになれば生身の人間であることをやめたい人も出てくるでしょう。入れ替われるようになる、ということは肉体が不要になることを意味していて自分の意識がオリジナルであることを証明するためにブロックチェーンに刻んでも、、虚しぃぃいぃぃぃだぁぁぁぁぁけぇぇぇぇぇ、、

天才たちが見ている未来は同じで、いつ仕掛けるかのタイミングを見計らっていると言います。GPT-4が開放されて更に加速する世界に振り落とされないだけで精一杯の僕ですが、それでも未来を予測していきたいものです。